マイナス思考の克服②

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脳と心の断捨離カウンセリング「天香」の、わたなべ じゅんです。

「どうしてマイナスな考えを起こしてしまうんだろう?」
先日、ある小さな日常の出来事から、そう思った。(マイナス思考の克服①)

カウンセリングの際に行っていることをヒントに、自分の思考の紐を解いてみた。

「他人のペースを乱してはいけない」と逆に「自分のペースを乱したくない」という思い。
「失敗してはいけない」と逆に「失敗は私(だけ)のせいじゃない」という、対局する思いのワードが浮かんできた。

まとめてしまうとそんな類のワードになるけれども、実際には、「失望させたくない」とか、「ここぞというタイミングで力を発揮できない」…細かい感情は沢山でてきている。

そんなことと、先日のきっと赤信号に沢山引っかかって、トイレに間に合わないんじゃないかと心配することと関係があるのかという疑問だけれども、関係は大ありだと睨んでいる。

今度は、この出てきたワードを手掛かりに、過去の思い出を探る。
上記のように感じた過去の出来事を、芋づる式に思い出すような感じになる。
いくつかの出来事が、簡単に思い出された。

例えば、私が小学校を入学して初めての授業参観の事。
「あかるいあさです あさひです。
  いっしょにいきます いちねんせい。」
教科書に書かれていた文章。
確か、家で覚えてくることが宿題だったと思う。
参観の日に先生が、「言える人、手を上げて~!」と言った。
私は覚えていたので手を上げたら、当たってしまった。
ただ、その時の私は堂々としていた。そしてちゃんと参観の保護者が沢山見ている前で、大きな声ではっきりと言うことができた。

家に戻ると、母は祖母にそのことを話すために電話をしていた。照れくさいけど悪い気はしなかった。
今度は父が仕事から帰宅してきた。今日あった出来事を母は得意げに、さも自分が大勢の前で発表したかのように私のことを話していた。また悪い気はしなかった。

それからしばらくして、日曜参観があった。
今度は父も授業参観に学校にきた。
理由はわからないが、私はドキドキしていた。この、経験したことのないドキドキは、今思えば、「プレッシャー」という、人生で初めて味わう感覚だったのだと思う。

そう、けれども親たちを喜ばせる前回のようなことは、簡単には起こらない。
頑張って手を上げたのか、上げていないのかは覚えていないが、期待値の上がった両親が、つまらない表情をして帰っていき、なんとなく、「ここぞというときに頑張れなくてダメな私」と思ったことだけを覚えている。

さて、これは事実だろうか?

私にとっては事実だ。
けれども、親が実際にがっかりしたのか、していないのかは、わからない。
親たちの何気ない表情を見た私の、憶測だったかもしれない。
ただ、「ここぞというときに頑張れなくてダメな私と思ったこと。
それだけは事実だった。

そのような過去の出来事を色々と思い出していた。
あんなこともあった。こんなこともあった。と。

疲れてきたので、気晴らしに散歩に出かけた。
自分のことを色々と探していると、視野が狭くなる。もっと視界を広げて、息をしに行こうと思った。
ふらっと出かけたつもりが10キロも歩いて帰ってきた。お腹はペコペコだ。
おかげで、心に風が通った気がする。

家事や仕事や近所付き合いや家族の世話…
人は、色々とやらなくてはいけないことに追われてしまうと、心の視野が狭くなってしまう。
他人のペースを尊重すると自分のペースは乱れるし、自分のペースにしてしまうと他人を振り回してしまう。
時間がない時に段取りが狂ったり、スムーズに事が上手くいかないとイライラしてしまう。
また、そういった折り合いをどうつけるか?と、あれこれ悩んだりもする。


今の私は、自分と他人の視点でものごとを考えていたことに気がついた。
この世の中は、両者だけで成り立ってはいない。
私たちは自然の中で生きている。生かされているのだった。
「自分のペース」だと思い込んでいる、この「ペース」だって、時間や空間、様々な縁やタイミングで織りなされている事柄や流れを、「自分」のものと勘違いをしている。

授業参観で手を上げて発表したことだって、「成功」体験として勝手に勘違いしている親子がいただけのこと。
「覚える」努力はしたにせよ、それは私に限ってではない。
親が見に来た。ほかの親も見に来た。手を上げたら、たまたま先生の目が、私にとまった。
そんな沢山の偶然が重なって起こった事に、「うまくいった出来事」として勝手に題名を付けただけにすぎない。

「うまくいかないかもしれない」
「思うようにすすまないかも」の裏には、

「うまくいかせたい」
「思うようにすすめたい」が隠れている。

そんな裏や表の心のゲームをやっているのは、きっと人間だけだろう。そして私は、天涯孤独になるまできっと、このゲームを繰り返すに違いない。

ただ、ゲームをしている自分に気づいていることマイナス思考のスイッチが入ったときに、またリセットすることを、忘れないようにしたいと思う。

今回は、授業参観の話を挙げたが、実際にはもっといくつかの出来事を思い出しては、整理している。

「苦い思い出のフォルダ」→「普通の思い出のフォルダ」に引っ越し。
といった具合に。
これが、記憶を元にした意識の出来る範囲での作業になる。

一方、記述式内観では、感情を元に実施するので、もっと心の奥深いところまで潜ることになる。無意識下へのアプローチだ。

自分でできるのは、意識下までとなる。

私にまた、次の「マイナス思考」のしっぽが出てくるのを待つことにしよう。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。













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