脳と心の断捨離カウンセリング「天香」の、わたなべ じゅんです。
人は、落ち込んだり、ふさぎ込んでるときに、「足るを知る」とか、「感謝をしなさい」などと言われることがある。
けれども、そんな沈んでいるときは特に、頭ではわかっても、心の底からそう思うことは難しい。
私も、「そうだよな」と思っても、心の底から思うことがなかなか出来なくて、そうは思えない自分、すぐにまた落ち込んでしまう自分を、またもや「ダメだ~」と思ったりして、その境地に至ることが難しいと感じたことが何度もある。
でも今日、「山登り」から帰宅して思った。
「登山」には、「感謝」がいっぱいだー

それは、私の今日の一日が、他の人よりも「ラッキー」であったということではない。
単なる個人的な、「登山」というものへのイメージが、「過酷だ」という過去の印象による、マイナスからの始まりだから ではないかと、思った。

奈良県御所市から、「大和葛城山」に登った。
週間天気予報によると、1週間前から今日は雨になっていた。
前日の夜の時点で雨が降っていて、「登山を延期するかどうか?」の、やりとりをしていた。
当日の朝になって雨が小降りになってきたので、とりあえずは現地に向かい、足場を見て決めることにした。

山の水はけは素晴らしく良く、滑らないよう気を付ければ登れる状態だった。
登る前に、雨が上がった!

行きたいタイミングにトイレがあった。(街中では、行くことをためらってしまうようなトイレであっても、山の中では後光がさして見える)

新緑が綺麗だった。(再びお天道様に感謝)
大和葛城山のつつじの綺麗なタイミングだった。(たまたま)



山小屋でお昼を食べようと思ったけれど、満席だった。けれども持参した「おにぎり」があったのでそれを食べた。(持参してきて良かった。おにぎりは最高においしかった。)
頂上は高原になっていて、凄い風が吹いていた。登山後のタイミングには気持ちがいい風だった。(山頂まではロープウェイもあり、ワンピースで上がってきている人もいた。きっとこの風は大変だったに違いない。Tシャツの人もすごく寒そうだった)

山頂には、ポストがあった。ハガキを持ってきたわけではなかったが、もしハガキがあったら、誰に手紙を書いたかな~と、いつもお世話になっている人や家族の顔が思い浮かんだ。
改めて、こうして山に来れたことを、ありがたいと感じた。
(勝手なもので、登山の達成感と感謝の思いが重なっている)

山頂で写真を撮っていたら、「撮りましょうか?」と親切に声をかけていただき、撮ってもらった。(山の上で会う人は、みんなが親切な人に思える)
ぬかるんだ下り道で、転ばないように手すりやロープが張られていた。
(危険な急斜面なのに、ロープを張ってくれた人がいるってことだ)

下山口には、靴などを洗う洗い場があった。
(「あると助かるね~」と話していたので、ありがたかった)
大阪に戻り、自分へのご褒美と称し、パフェを食べた。(パフェを食べるなんて何年ぶりだろう。自分が丸ごと1個食べるという、非日常の贅沢な心地)

帰宅して、靴下を脱いだ。(そんな日常の動作にさえ、解放感と幸福感を感じる)

お風呂に入ると、天国だった。
以前に比べて、自分の身体に対して、日常に意識するタイミングが増えた。
姿勢、呼吸、筋肉の使い方、動作のバランス、食べた物が口に入ってから出るまでのスピード…
若い頃には、全く考ることがなかった「自分の身体」
当然のように扱ってきた「自分の身体」
遠足! →→→ 「なんで登山なん~?」
修学旅行! →→→ 「登山もあるやん。最悪~」
クラブの合宿山(山コース)! →→→ 「大雨が降ればいいのに~」
学生時代、私たちは揃ってそんなことを思ってきた。
自然に話題は、厳しかった体育の先生や、クラブの顧問の先生の話になっていた。
「あんなことをやらされた」「こんなこともさせられた」「今の時代だたら、アウトだろうな」…
過酷だった思い出話は尽きなかった。散々文句を言い放って…
でも、
「ほんまに感謝やな~」
今になって、やっと有難さがわかる。
そして、学生の頃あんなにイヤだった「登山」の次の計画を、また立てている自分たちがいる。
あとは寝るだけ。
布団に「ありがとさん☆彡」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
コメント