お彼岸 心の成仏

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脳と心の断捨離カウンセリング「天香」のわたなべ じゅんです。

お彼岸に、おはぎをつくる。
あずきは1袋買えば、2~3回おはぎがつくれる。
一方、もち米というものは、だいたい2キロ入りが多い。そして一度に使う量は、せいぜい1カップ。なかなかの回数つくれてしまう。
あまり古くなるといけないと思うので、度々つくるようになる。そうしたら今度は、「あずき」が足らないということで、「あずき」を買い足す。あずきが余ってくると「もち米」を買い足す。
気がつけば、エンドレスに「もち米」と「あずき」を常備していることになっている。

私の父は「おはぎ」が好きで、持っていくと喜んでいる。と思う。
歳をとるごとに私も同じだが、物欲は若い頃に比べると低下する。(決してゼロにはならないが)
高価なものは、迷惑そうな顔をする。(高価なものも渡さないが)
結局のところ、顔を見てほっとする感じだ。
嫁に出た娘がいる今の私には、やっとわかる感覚である。

なので、父が「おはぎ」を本当に喜んでいるのかは微妙だ。

お彼岸には、「墓参り」だが、今生きている「親参り」も、私は必要なお年頃。
そんな私も、今だからこそ「親参り」をすることが出来る。
十数年前までは、色々とわだかまりを持っていた。
その「わだかまり」がどこに行ったのか?というと…


あの世」だ。

「あの世」というと、ちょっと怖い匂いがするが、要するに感情が「成仏」したのだ。


「成仏」というと、ちょっとどころか、さらに怪しくい匂いがするかもしれないけれど、
感情の「成仏」などというものは、日常にけっこう起こっている事だと思う。

「食べたい、食べたい」と思っていた有名スイーツがやっと、食べられた!
「欲しい、欲しい」と願っていたら、やっと恋人ができた!
「痩せたい痩せたい」と思っていたら、ダイエットが達成できた!など…
(叶ったら、また次の願いが生まれた…というのは、また別の話になるので今度にする。)


ただ、世の中には、なかなか叶わない願いもある。
なぜなのか?

有名店のスイーツを「食べたい」思いだけならいい。
心の裏側では(そんな有名店のスイーツなんて食べれるわけがいない)であったり

恋人が欲しいけど…
心の裏側では(恋人が出来て、自分の時間が無くなるのは嫌だ。男(女)は面倒な生き物だ。どうせフラれるに違いない)であったり

「痩せたい」けど…
心の裏側では(「食べたい」「もっと欲しい」「我慢なんてしたくない」)など…

それでは、願いは叶わないようだ。

ある種の願いを叶えるためには、「本当の自分の感情」が成仏しなくてはならない。
しかしながら、その気持ちをわかっていない場合が多々にある。
「あの世」だの「成仏」だの、怪しい話になってきそうなので元に戻す。

要するに、「自分の本当の気持ち」が、ちゃんとわかっているか?
ということが、願いをかなえるためにも重要になってくるようだ。

「彼岸」とは、仏教用語で「あの世」とか「悟りの境地」を意味するらしい。
おはぎでも食べながら、こっそりご先祖様に「正直な気持ち」を話してみよう。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




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