脳と心の断捨離カウンセリング「天香」の わたなべ じゅんです。
先月「観音が峰」に登ったメンバーで、和歌山県の「生石高原(おいしこうげん)」生石が峰」に登山計画を立てた。標高は約870m。登山平均時間は約5時間。
朝、高速を降りたコンビニで、予定通り集合した。
登山口の駐車場をそれぞれが検索したのだけれども、みんなは、そこまでが25kmほど。
先頭を走るはずだった私の車のナビだけが、50kmを超えていた。
ナビによって、誘導される道が違うことはしばしばある。
何度か別ルートが出てこないかをトライしてみたけれども変わらない。
私だけみんなと表示されるルートが違うみたいなので、後を走らせてもらうことした。
みんなを、遠回りさせてしまうわけにはいかない。と思ったからだ。

走っても走っても私のナビは近づくどころか、55,56,57,58km…と遠ざかるばかり。
そして元の道に戻そうと、何度も何度も「ルート変更」のお知らせ音が鳴っていたが、無視をし続けていた。
細い道をなるべく走らなくてもいいように道幅の広い道を案内してくれるのかな~?
などと、私だけ皆と違うルートが出る原因を想像しつつも、
せっかくのナビの親切を、完全に無視して走っていた。
そして、言うことを聞かない「我が道を行く人」気分を味わっていた。到着する少し前まで。

着いた~!
天気は最高! 気温もばっちり! 登山日和の天候だ。
そこには、トイレは勿論のこと、見晴らしの良さそうな山小屋レストランもあった。
「え~~~~~~~!!!!???」
「ここ、山頂じゃん!!」
やってしまっていた。
頂上まで車で登ってきてしまったのだった。

しばらく皆で悩んだ末、「登山計画」を「下山計画」に変更することにした。
「これもいい思い出だ!」と、みんなで笑いながら、下山をはじめた。
始めての「登山」ではなく、「下山」だ。
頂上からの絶景は、わざと見ないようにし、目をそらしながらトイレに行った。
これから始まる「下山」のために、しっかり「登山靴」に履きかえて、登山アプリを起動して、「下りはじめた」。
正直言って、わくわくはしない。
テストに出されるはずのプリントを、職員室で先に見てしまったような気分に似ている。

「下山」は、本来の登山道から外れやすいことがわかった。
それぞれが、すそ野から頂上に集まってくる道とは違って、頂上から下る場合は、道の選択肢が広がっているからだ。
案の定、何度かルートから外れてしまい、引き返した。
だから基本のルートを通るよりも、寄り道横道の距離が増えた。
そして頂上付近は斜面が急になっているので、下りでもキツイ。
景色を見るよりも、前の人の靴のかかとを見る方が多かった。
山登りだと、「今、何合目」とか「頂上まであとどれくらい」などの標識が立っていたりするので、「あと半分」とか「あと4分の1か」と、自分を励ましながら登る。
八合目を過ぎてくると、「頂上の景色」を楽しみに、自分の頭にニンジンをぶら下げている思いで頑張る。頂上に達したときの「達成感」という味を、魂は知っているに違いない。

でも今日は違う。
膝に負担がかからないように用心しながら下りはじめ、楽しいながらも頭の中では、「帰りはこの角度を登らなきゃいけない」ということを、考えながら下っていたのは、私だけではなかった。
下ったら、今度は「登り」だ。
身体も疲れているし、脚にも負担感を感じているところからの登り。
「うそでしょ~」と言いながらも、登らなくては仕方がない。
乗ってきた車で家に帰るには、もう一度、頂上まで行かなくてはいけないのだ。
「ふぅふぅ~」と言いながらも、
やっと頂上。
頂上からの景色はやっぱり素敵だった。
景色とご飯が、すべてを、「良かったこと」にしてくれる。
こんな珍登山=「下山」も、思い出アルバム永久保存間違いなしだ。
ゆかいな仲間たちと、また忘れられない一日を過ごすことができた。

「生石高原」はススキが綺麗で人気らしい。
また秋になったら、今度こそ「山登り」しようと、次の計画も出来た。
「カーナビを信じる」ことを、今回の反省にしたいところだが、
「自分と仲間」をもう少し信じることを、課題にしようと思った。
あの時点で、自分のナビが間違いの検索だと、疑う余地もなかったが、
「ちょっと待って。もう一回検索をし直してみようよ!」と、声をかけてみることが
「最善策」だっただろう。
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あの日もそうだ。 私の「心のくせ」が浮き彫りになってきたようで、恥ずかしい。
あの数日後、私はまた夫と畑に行った。
その時、言いそびれてしまった「大きな重い方の袋を持ってほしい」という言葉。
今度は言った。「こっちの袋を持って!」と。
夫は気持ちよく「いいよ」と言った。
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どんな言葉も、言わなければ、波風は立たない。
(今回の「ナビ」は、波風を立てない為に黙っていたわけではないが。)
家族や昔からの友人であれば、これくらいの「波や風」を立てたところで、転覆することはない。
波風を起こして、そして「心の帆を立ててみては整える」という練習が、私にはもう少しばかり必要なようだ。
他人との人間関係において、じっとしていても向こうから「波や風」がやってくることがある。自分が沈んでしまわないためには、時に「帆」を立て、風を受けたり、波風に乗ったり、角度を変えて風や波を交わしたりできるほうがいいと思う。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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