春しごと

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脳と心の断捨離カウンセリング「天香」の、わたなべ じゅんです。


桜が咲いてもまだ寒く、いつになったら…と春を待ちわびていたのに、あっという間に長袖が暑いくらいになってしまった。
そして春は、何かと忙しい。

4月は何かと変化があり、あれよあれよと気がつけば、もう五月!?
畑に雑草は一気に生え始めるし、色んな野菜を植え始めるタイミングがやってくる。
畑にはせっせと水をやりにいかなくてはいけない。
そして次々に野菜の収穫のタイミングがやってくる。
山菜も旬。
行かなければいいものの、行ってしまうのだ。

実家の裏山に、山ふきが生えているので、少しだけ刈らせてもらった。
調子に乗って、あんまり沢山刈ってしまうと、料理の下処理が大変だ。

81歳の父と一緒に、その茂みに向かった。
近所の人に、「今年は毛虫がたくさんおるからね~気ぃつけてよ~」と和歌山弁で優しく声をかけられた。私は長靴を履いていたし、首にタオルと帽子をかぶっていたが、そこそこ気をつけながら茂みの浅い所に入った。
父は、Tシャツでガンガン茂みの深いところに入っていき、毛虫なんぞ完全無視。田舎じいさんあるあるだ。

家に戻ると母は、
「いらんで~。料理したやつならもらうけど、それはめんどくさい、ええわ~」
要らないと言った。
想定内だったけど、一応2家庭分を刈っていた。

ここから車で、1時間弱の所に夫の両親が住んでいるので、帰りに立ち寄った。
義母は料理が好きな人で、一昔前までは、山菜取りにもよく出かけていたことを知っている。
もし、要らないと言われたら、調理をして持っていくか!
と、思いながら聞いてみた。

「わぁ~今晩は、退屈しなくてすむわ~ (ふきの下処理が)楽しみ、楽しみ♪」
義母はとても喜んだ。

ふきの下処理を、めんどうに思った母が悪いとか、喜んだ義母が良いとか、そういうことではない。
めんどうなものを、「めんど臭くない楽しい」と言うことを、実母に望んでいるわけでもない。

ただ、義母の捉え方は、素敵だと思った。

私も、「ふきの下処理はめんどうだよな~」と思っている。
太いふきの皮を剥いだら、アクで染まった手の黒ずみが、3日経った今でも完全には取れない。

生きていたら、人間関係や体の不調だって素通りすることができない場合が、誰にでもしばしばあると思うが、起こった出来事に対して、十人いたら十人みんな同じ捉え方をするとは限らない。
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アルバート・エリスの「ABC理論」をご存じだろうか

同じ出来事でも、その人の捉え方によって感情や行動は異なってくるという考え。

出来事(A)自体が、直接的に感情や行動(C)を引き起こすのではなく、その出来事をどのように捉えるか(B)が重要である。
「雨(A)」が降って、全員ががっかりすることはない。「雨」を楽しみにしている人もいる。
「雨(A)」自体が、感情(C)の原因を作っているのではなく、「雨」に対する捉え方「(B)がっかり、うれしい…」で、「雨(C)」に対する感情はそれぞれ違う。ということ。

(B)を修正することで、感情や行動(C)を改善できるという「認知行動療法」の一つ。

誤解なきようお願いしたいが、今回ふきを「要らない」と言った母に対して、根に持っているわけではない。人はそれぞれ楽しみ方も、幸せを感じる視点もそれぞれであるから、母は母でそれでいい。

ただもし、学校や会社や人間関係で、自分がよくトラブルに巻き込まれてしまうなどで悩むことが多いのであれば、自分の「B」を見つめ直してみてはどうだろうかと思う。
軽いテストであれば、自分自身でもできる。
「認知行動療法」の本なども、今では手に入りやすい。

例えば、「男」や「母」という言葉を聞いて、それぞれ自分には、どういう印象が湧き上がってくるのか…

強い、養うもの、ずるい、頼れる、嫌い、好き、父、うらやましい、生まれ変わりたくない、優しい、冷たい、わがまま、信頼… 

人によっては沢山出てくるだろうし、「好き」と「嫌い」の両極端な感情が一緒にでてくることもある。 
「こころ」というものは、実に不可解。良い悪いではなく、知っておいて損はないと思う。

さてさて、せっせと作った「きゃらぶき」を、今夜の一品にと小皿にとりわけ、Sラップで蓋をしようとしたら、くっついてしまい取れない。

「こんな時に… めんどうだな~もう…」
「!!」 (B)の修正に、義母を見習わなくてはいけない。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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