脳と心の断捨離カウンセリング「天香」の、わたなべ じゅんです。
週末、夫と畑仕事をした。いつもは一人でやることが多いが、時々一緒に行く。
当たり前ながら、一人よりも二人の方が、作業は早く終わる。
今回は、ブロッコリーやキャベツが終わりを迎え、根や茎や葉の廃棄するものが沢山出た。
少しであれば、そのまま畑で枯らせて肥料にでもするのだけれど、量が多いので、ゴミ袋にパンパンに詰めて持ち帰った。

荷物は、パンパンのゴミ袋1袋と、収穫をしたブロッコリーの入ったスーパーの袋と、洗濯ばさみや紐が入った小さな袋が2つだった。

ここからが問題だ。
夫は、3つの袋を目の前にして、小さな軽い袋を、笑いながら2つ持った。
私はパンパンの重いゴミ袋を持つ運びとなった。
夫がニヤッとしていたので、冗談で、すぐに重い方のゴミ袋を持ってくれるのではないかと半ば期待していた。しかしながら、私の期待は大きく裏切られた。
畑からの道は、狭いくせに車がビュンビュン通る。荷物が無くても歩きにくい道路なのである。
すぐに「え~!」と心の不満を口にすればよかったのだが、肩透かしをくらったショックと、期待してしまった自分への後悔が交じり、言葉にし損ねた。

こんなときは、いつもは右から左に流せることも、心に引っかかってしまう。
普段、私一人で畑に行くときであれば、どんなに荷物が多かろうと、腹を立てることもない。そして、何かや、誰かに期待することもない。二人だから、腹が立つ現象なのである。
そんなことは、今まで幾度とあったので、夫に話したこともあるが、「女心はわからない」と言われてしまう。
いやいや「女心…」じゃないでしょう。たとえば、お年寄りに対しては、ちゃんと配慮ができるんだから…そんなことを言い始めると、ますます腹が立ってくる。
先日、「願望」と「欲望」の違いを調べていた。
「願望」は、内的なもの。
「欲望」は、外的なもの。
望むという点では同じ意味ではあるけれども、
「願望」は、自分自身の内側に求めるもの。
どうありたいか、どう生きたいかというような思い。
一方、「欲望」は、欲しがること。
地位や財産を求めること、物欲。
じゃ私のこれは、「欲望」に属するのか?
「重い方を持ってほしい」「気遣ってほしい」「頼りにしたい」など、
書くことすらも恥ずかしくて、今ぞっとしているが、心の片隅で、そんなことを望んでいたようだ。
軽い荷物を選んだ夫もナンセンスに思うが、その場で言わなかった私も同じくらいダサい。
人間関係は、人の数だけ存在するだろうけれども、相手に対して自分の*価値観での「普通」を押しつけてはいけないと、心理カウンセラー業界でも、当たり前のように言われる。
いやいや、押しつけないとしても、自分流の*価値観は現実に存在する。
(*価値観は、家族や文化の影響、教育の影響、人生における重要な出来事や経験、時代背景などによって、形成されていくもの)
「こうあるべきだ」「こうあってほしい」「こうしてほしい」「こんな風に接してほしい」…
理想を言えばきりがない。
そのうえ質が悪いことに、そんなことを口に出さなくても分かってほしいというのが、やっかいにも「女心」というものである。

「女が怒っているときは、心は泣いている」と芸能人の女性がテレビで言ってた。名言だと思った。
言わずして理想的な振る舞いをしてくれる相手であればラッキーかもしれないが、目の前の夫はそういうタイプではない。
そう、これが現実だ。
しかしながら、もしも理想的な振る舞いをしてくれる夫だったとしたら、私の理想値は、もっともっとと更に高くなっているに違いない。
神様が私の「欲望」を、このへんにしておくようにと、今の夫を配役においてくれたのだろう。
ぐちゃぐちゃと書いたが、課題は決まっている。
「私は、重たい方の袋を持ってほしいと思った。」
夫に、そう伝えるだけなのだ。
それに対して、相手がどう言うのか、どう行動するのかはわからない。そこから考えたり、話し合ったりすることで、少なくとも互いに変化があるだろう。
夫婦に限らず、これは人間関係全般に言えることだと思う。
ここまで書いていながら、いざ夫に「重たい袋を持ってほしいと思った」と言えるかと言うと、躊躇する自分がいる。
「言えない」。

持ち切らない重さではないのに、なんだか甘えているようで気持ちが悪い。
一方で、3つの袋を目にしながらも、軽い小さな袋を手に取った夫も、「重たい方を俺が持つ!」と言えずに、あの時「ニヤッ」と笑ったに違いない。
きっと令和の世では、無意味に意地を張った、ザ昭和人間2名である。
あと十年もすれば、絶滅危惧種になっていくだろう。
自然体で生きていけることを目指しながら、不自然な1コマであったことを認めざるをえない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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