自分にとっては事件でも、他人にとっては大したことのない事

ブログ

脳と心の断捨離カウンセリング「天香」の わたなべ じゅんです。

夫とラーメン屋さんに行くことになった。
おいしいラーメン屋さんは、近所にも数件あるけれど、「特別ここ!」っていうお店が思い浮かばず、どの店に行こうかと相談していた。
一瞬、頭をよぎった店がある。夫も同じ店だった。

だが、私にはその店に、3年前の苦い思い出がある。
その日は、夕方まで出かけていて疲れていて、お腹もペコペコだったので、「外でラーメンでも食べよう」ということになった。
ファミレスほどの広さがある、お客さんでいっぱいのラーメン店で、整理券(番号札)が発券されるシステムになっていた。

数十分待って、自分たちの番がきた。
外で夕飯を済ませられるのは、私にとっては嬉しい。疲れながら食事を作ったり、後片付けもしなくていいからだ。
カウンター席のすみっこに案内され、楽しみにしながら、注文したものが来るのを待っていた。

黒い四角い盆に乗せられて、ラーメンが来た。忘れもしない。味噌ラーメンだった。
3、4口、いただいた頃だっただろうか… 黒い盆が、チラチラと光るのが目に入った。
始めは気にかけなかったものの、不自然な光り方が続いたので、しっかり見ると、

えっ! まさか… 
「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~!」

(声は出していない。声を出すと飛んできそうだし、他のお客さんも気分よく食事をしているから、かろうじて我慢した。)

それは、長い触角を左右に動かし、ギラギラと大きく立派に成長した「Gブリ」君だった。

静かに素早く店員さんを呼んで、指をさした。
店員さんは、指をさしただけで察しがついたようだ。
両手にゴム手袋をはめて、半透明の袋(半透明にも驚いた)を持ってきた。
私が座っていた席の周囲を中心に「G」は逃げまわったが、若い店員さんは素早くキャッチしたのだ。
捕獲までの所要時間は、10秒ほどだった。
おそらく、私が店員さんを呼んで、それに指をさした時間まで入れても、1分もかかってはいないと思う。あっという間の見事な手さばきだった。(感心している場合ではない。)
そして、また奥からは「すみませんでした。昨日、店中に殺虫剤をまいたんです。」
と、チーフっぽい人が言いに来た。

それは半径1メートル以内で、静かに執り行われたこと、すみっこの角席だったということで、幸い周囲にはあまり気づかれていない様子だった。もちろん、私が大声をあげなかったことも功績の1つだったと自分を褒めたいが、もしかしたら、声を上げたり騒いだりすると、彼が飛び回るかもしれないと思った防御本能なのかもしれない。

あやまってくださったものの、その言葉はショックを倍増させた。
とはいえ、じゃあどう言ってくれたら、この事件を水に流せるかというと、どんな言葉をかけていただいても多分無理だった。
なにしろ、お盆の上を数回行き来していたこの「G」は、調理場からこのお盆の上にいたに違いない。スープを注がれる前に器を往来していたかもしれないし、お箸やレンゲの上も往来していたんじゃないかと、不吉な想像は止まらない。
腹は立っていなかった。単純にショックで、心が撃沈していたのだった。

夫は、「変えっこしてあげるわ~」と、すぐさま、お盆ごと自分のラーメンと交換をしてくれた。
(え?夫は平気なんだ)
せっかくの優しさであるが、自分好みに付け足した調味料がしっかりと混ざり、残り半分を汁から覗かせているラーメンの続きを食べるということにも、少し勇気がいる。この二重に重なった出来事に戸惑いながらも、せっかくの心遣いを踏みにじるわけにはいかないと、箸を握るが、もう食欲なんてものはとっくにどこかに去ってしまっている。

あんなに楽しみだったラーメンだったが、もはや刑罰に課せられたように顎を動かさなければいけない作業に変わっていた。申し訳ないが、喉を通らなかった。

帰りのレジでの精算時には、もう一度くらい謝られるかと思っていたが、別の人がレジ係だったし、そんな出来事は話題にもなっていないようだった。

「ラーメンを新しいものと交換します。」と言われたところで、もう食欲は無くなってしまっていたし、
「ラーメンを無料にします。」と言われたとしても、このショックが消えるものでもないし、
店長クラスの方が来て、深々と謝罪をされることを望んでいるわけでもないし…

店員さんの、手慣れた「G」の捕獲劇からして、この店では、珍しいことではなさそうだ。
「昨日、殺虫剤をまいたんです…」という、チーフらしき人のコメントも、いかがなものかとは思ったが、それに反応する気力もなかった。
自分にとってはショックな事件でも、他の人にとっては、大した出来事ではないということだろう。
自分だけの血圧が上昇していて、周りの人は平静としていた感じだ。

モヤモヤしながら、しばらくこの件にこだわっていたが、やがて忘れていた。

あれから3年経った。今でも、ここに足が向かない。
私は、虫が特別嫌いでもないし、潔癖でもないと思うが、わざわざその店にいく気が起こらない。
小さな「G」君が、チラホラ視界に入るような中華屋さんや居酒屋さんに行ったこともあるが、その際も、それほど驚きはしないし、二度とそこへ行けないとまでは思わなかった。
あの時の、器の周りという至近距離であった出没環境と、殺虫剤に打ち勝った彼の生命力を感じさせるギラギラの輝きとで、まず視覚にパンチをくらった。
そのあと、自分と周囲との反応の差異でダブルパンチを食らった。

転んですりむいて泣かなかったけど、だれも何も言ってくれなかった。みたいなことと一緒だったら恥ずかしいが、私にとっては衝撃的な事件であった。
そして思った。
自分の痛みや苦しみを、他人に同調や理解を望むのは難しい。共感を得たところでその場しのぎに気持ちは落ち着くのかもしれないが、自分の心からその問題を消し去ることは難しい。
やはり自分の心がそれを乗り越えなくてはいけない。他人の態度や対応に感情をゆだねてはいけないと。

そして夫はずっと笑っていただけだった。

笑えね~ 

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。



コメント

タイトルとURLをコピーしました