脳と心の断捨離カウンセリング「天香」のわたなべ じゅんです。
自動車のコマーシャルだった。
小学生くらいの女の子が、お母さんの運転で自動車に乗っているのだが、女の子が忘れ物をしたらしい「あ!! 水筒忘れた!」という。お母さんは驚きながら娘に気をとられ、遅れ気味にブレーキを踏むが、優れた安全機能が働き、ギリギリのところで車と車との衝突は回避できた。という1コマ。「あ~大事に至らなくてよかったね。安全性の高い優れたシステムなんだね。」と多くの人はそう感じると思う。ただこの私、その後この子が、お母さんにどなり散らされてはいないだろうか?と想像力を働かせてしまった。

もちろんコマーシャルなので、そんなストーリーがあるはずもない、ましてや怒鳴り散らされるシーンなどへと展開するはずもない。
今、私の母は、怒鳴り散らすことなんてない。ヒステリック性も年齢とともに老いるのだろうか。
母の爆弾発射装置にはパターンがない。だから学習のしようも、回避のしようもない。いつどこでスイッチが作動するのかがわからなかった。

最近になり、「毒親」という言葉が耳にされるが、その元に生まれた子供は、この優れた安全装置を車ではなく、わが身に備え付けたいと思うだろう。
母60歳くらいのときだった。ほうれん草を炒めていた母を、私が何かの理由で責めたことがあった。母は一瞬のうちにイライラしだして、炒めていたほうれん草を台所の床にまき散らした。私は火を使っている人間をイライラさせてはいけないと思った。
その後の風景は覚えていない。
きっと料理を1つ台無しにしたうえに、片付けも大変だったと思う。私が風景を覚えていないのは、これ以上被害が拡大し、二次災害に合わないように、その場からフェードアウトしたからだと思う。
実はこれに似たことが、カップルや夫婦のケンカにもあるように思う。上司や部下の間にもあるかもしれない。そういう時って、相手が嫌いだからじゃないことが多いと思う。
いや、嫌いな場合もあるかもしれないけど。
たいていは、相手が自分の「思い通り」じゃない行動を取ったから。というのが近いように思う。

ただ、思い通りにいく相手なんて、そういない。家族であっても、恋人でも友達でもだ。
それぞれの価値観と生き方がある。
ほうれん草をまき散らした母と、母の感情に火をつけてしまった私は、互いを「自分と同一化」したという点で「同罪」である。
ヒステリー安全装置は、相手が自分の「思い通りになる」と思わないことであるかもしれない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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